
(2021.3.2更新)
信州・田舎暮らし便り その54
《田舎脱出計画!?の巻》 其の六
なんだかんだありましたが無事土地は購入したので、その後は夢の建築計画です。そこは駅近の狭小土地なので、2階建てより3階建てかな…。やはり1階は鍼灸院、2階は連れ合いのカフェ、3階は住宅。出来るだけ化学物質を使わず昔ながらの建築方法とモダンさを融合した近未来的な住宅を構想しました。
いろいろ雑誌を読んだりネットで検索したりして青写真を描きますが、何せこちらも素人ですのでここはプロにお願いすることに。そこで以前、山の鍼灸院の改装をお願いした昔ながらの工法を重んじる若い大工さんに相談したところ、上田は少し遠いが是非やらせてほしいということで建てる人はすんなり決まりました。予算は35年フル住宅ローンで2500万円。大工さんも「これだけの予算があれば自然素材オンリーでしっかり作れますよ!」とやる気満々。早速1ヶ月後には図面を書いてもらって打ち合わせが始まりました。
だんだんと形になっていく我が家。連れ合いもカフェの設備等の資料を集め出し、営業許可の関係や食品衛生責任者講習など、着工すれば遅くとも半年後には完成予定なのでそこから逆算していろいろな準備が動き出そうとしていました。
そして同時進行で肝心の住宅ローンを検討。これはどこから借りるかでかなり悩みました。大手や地銀、ネット銀行が乱立する中、金利もいろいろでその他手数料もいろいろ。固定か変動かなど、検討する課題が多過ぎて食傷気味です。
私たちが描いている目標、それはお店をやることなので、厳密には住宅ローンは利用出来ず金利が高めな事業用ローンとなります。住宅の一部をお店にする場合、住宅部分は住宅ローン、お店部分は事業用の融資となるわけです。しかしいろいろ調べると「店舗併用住宅」というのがあるではありませんか!これは銀行毎に多少違いますが「お店の床面積が住宅の床面積の半分以下」という基準を設けている所が多く、つまりこの基準内なら全額住宅ローンでOK!ということになるようです。
住宅の半分以下、ということは鍼灸院とカフェ2つは無理?いや、その分大きな家にすれば良いのでは?鍼灸院の待合室をカフェにする?カフェはテイクアウトにしては?いや、鍼灸院を出張扱いにしては?いやいや半分を超えた箇所は現金で払えば良いのでは?…等といろいろ考えるのもまた楽しい。
3分割で住宅、カフェ、鍼灸院にすると、計算上店舗部分が6割強になるので、理屈では建築費の1割強だけ現金で支払えば全額住宅ローン可能のようです。つまり2500万円で1割強、つまり300万円程現金で支払えば可能かも、なんて随分住宅ローンオタクになってきましたね。
もう頭の中でアレコレ考えても仕様がないので、兎にも角にも銀行へレッツゴー!と、夢の新築計画の展開かと思いきや、そうは問屋が降ろしませんでした…。 つづく
(2020.11.30更新)
信州・田舎暮らし便り その53
《田舎脱出計画!?の巻》 其の五
これは完全に騙されたということでしょうか…。
不動産屋の担当者は会長と呼ばれる重鎮らしく、社長は息子で金髪頭、社員もみんな派手系。この会長の幼なじみだか常連客が今回の地主だったようで、電話しても「ワシもよくわからんから…あとは地主と話して」とイヤイヤ感バリバリな模様。不動産売買時の規定の仲介手数料、売買代金の3%+6 万円はすでに契約時に支払済なので、今後何があっても不動産屋にとっては痛くも痒くもないのです。
地主さんは90 代で入院中で、契約時は子どもさんが付き添ってわざわわざ病院から見えましたが、身体の調子はかなり悪そうでした。地主本人は「もう1つの土地まで売ってない。ほしいなら追加で金払え!」とのたまい、60 代と思われるお子さんは「私はよく分からないので…」と言うし、その上、2カ所一緒でないと名義変更は出来ないと法務局は言う…。
ここは八方塞がりか!?と思いきや、ここで正義の味方、司法書士さんがこの展開に滅茶苦茶ブチキレます!!この方は、連れ合いが障がいを持つ弟の成年後見人になる時に申請事務を頼んだご縁で、今回も土地の名義変更手続きを依頼してました。
司法書士さんは、買う時のチラシや実際の測量図等を集めて、事務所に乗り込み直談判。
「チラシも実測の広さで売りに出ているからこのままでは詐欺になりますよ!」
「それを仲介した私の立場はどうなるんですか?」
「このことは司法書士の協会にもお宅の名前を出して報告することになりますよ!!」などと抗議。会長、仕方なく地主さんを説得したようで、その後イヤイヤそうな声で会長さんから電話があり、これまたイヤイヤながらかろうじて謝罪の弁を述べる。その時、「司法書士さんがあまりにうるさいので電話しました」なんて泣きが入った位(笑)。こちらもブチキレたいところですがここは大人の対応に徹しました。
その後、この司法書士さん全くぬかりなく、2 筆の名義変更となるとすべての手数料が2倍くらいになるところ、そのハミ出し分も元々今回の出来事は売り主の責任!ということで、すべて売り主が負担するように交渉してくれました。この方の仕事を越えた対応ぶりに感謝し、交渉にかかった交通費や人件費等を是非お支払いしたい、と申し出たのですが頑に固辞なさり…涙涙でした。久しぶりに誇りあるプロの仕事を見ることが出来ました。
でももしこの司法書士さんにお願いしていなかったら、私たちはどうなっていたのだろうか…と思うと本当に背筋が凍りましたね。頼んで良かった~。
さてさて、ノッケから土地購入でいきなりケチがついた!?とは思いたくありませんが、この後も数々の試練が襲ってきたのであります…! つづく
(2020.11.30更新)
信州・田舎暮らし便り その52
《田舎脱出計画!?の巻》 其の四
そこはJR上田駅に近い土地。
こんなところが売りに出るなんて滅多にないに違いありません。
もう買う気満々で不動産屋に行き、詳細を確認、既に現地確認は勝手に隅々まで見たのであとは書類だけ。不動産屋も老舗のようで安心?都市ガスのガス管、水道管等も通っていて問題無し。建ぺい率は80%、容積率300%、準防火地域、いろいろ規制はありますが小さいが2階建ての店舗が建ちそうです。坪単価も相場に比べて少しだけ高めでしたが、他にも買いたい人がいるから値下げはしないとのことでした。
土地は実測27坪、登記簿上は20坪になっていて、
「昔は計測する時に縄伸びといって縄を精一杯引っ張りなるべく土地を小さく計測して税金を安くした名残で書類上は狭くなっている土地がまだ多いんですよ。なので税金が安く済みますよ。もちろん専門家に測量してもらって表記をし直すこともできますがお金がかかりますよ…」
というお話で、いろいろネットでも調べましたが、もう隣地との境界も確定してあるので、そのままで名義変更することにしました。
1階は鍼灸院、2階はカフェ、もう想像するだけで大興奮です。話しはトントン拍子に進み、お付き合いのあった司法書士さんに頼んで名義変更というところまできました。支払いはもちろん現金一括、ネット支払いでしたが緊張のあまりタイプミスを連発するも最後にエンターを押して今まで生きて来て一番高額な振り込みをしました!
その後、不動産屋さんの事務所で全ての書類を司法書士さんに確認してもらい取引終了。
と、ところが…。このあとすぐ法務局に行って名義変更して終わり、の筈でしたが、何やら慌てた様子の司法書士さんから緊急の電話。
「大変です!あの土地、2つに分かれている様です。20坪と7坪に。しかもあの土地は狭すぎるので法務局で職権合筆することになっているようで、つまり2つの土地が一緒に名義変更しないといけない、片方だけ名義変更することは出来ないのです !」
「え…?」
はじめは何を言っているのか全く分かりませんでした。司法書士さんがすぐに不動産屋に電話するも、この不動産屋「そこまではわれわれは知らない。前の売主の責任だ」と言う。すぐに売り主に電話するもなんと!「もう1つの土地がほしければ追加で金を払え」と言っているという話で…。
オイオーイ、一体どうなってるの!?
そんなことをしたら相場よりちょっと高め、でなく凄く高い買い物になってしまうのでは?これはぼったくり? !どうなるのーーー ! つづく
(2020.10.31更新)
信州・田舎暮らし便り その51
《田舎脱出計画!?の巻》 其の弐
そんなこんなで、そろそろ田舎生活もちょっと考え直す時期が来たのではと思うようにな りました。
下の子どもの小学校で 3 人だけのクラスもどうも地元生の子が引っ越す予定らしく、元よ り山村留学生の子は来年度居るかわかりません。うちの子ももう転校を考えても良いかな ー...という感じになった頃でした。 私も連れ合いも実家は東京と千葉、そろそろ親も年をとってきてます。せめて新幹線かイ ンターに近い所に拠点を構えれば、もしもの時も通いやすいと思いました。 私の学校の仕事を減らし、細々やっていた山の鍼灸院の支店を町にも出し研修施設も作り たいという希望に、連れ合いのカフェを開店するという希望もあります。 ある程度は住宅ローンを組めば安い金利で購入出来るし、その上、家の一部を鍼灸院とし て営業する形にして、そこから鍼灸院や田畑に通えば良いじゃないか!という様に家の中 で話がまとまりました。
いよいよ田舎脱出計画の始まりです。 とりあえず学校の職があるうちは住宅ローンが組めそうなので、クビになる前に探しちま おう!ということで、割と身が軽く交渉事が得意な連れ合いが動き出しました。 まあ、田舎脱出といってもやはり信州は山に囲まれた田舎ですが...そうした盆地に駅や街、 住宅地が広がっているので駅近くの広い物件を探しました。 山の家は、長野県の代表的な 3 大都市である長野、松本、上田の各市からそれぞれ約 40 km以上離れている所にあり、大体車で 1 時間位はかかりますが田畑をやりにも通える距離 です。この 3 市に絞って考えると、松本市は新幹線が通っていないので東京に行くには少 し不便、長野市と上田市は新幹線はあるけど、長野市は駅近くに物件を探すのは至難の業、 駅の南側は再開発でゴチャゴチャしていました。 ということで上田市に的を絞り、ちょうど高校受験で上の子も上田にある高校を気に入っ ているようで上田に居を構えれば一石二鳥ですね。
年明けのある日、いつものようにネットでいろいろ検索していた連れ合いが、「えー!上田駅近くの土地が売りに出ているぞ!少し狭いが貯金で買える価格だよ。明日すぐ見に行 って来るわ」としばし興奮気味で話し出し、家族みんなで情報があまりない不動産屋のホ ームページを食い入るように見て、グーグルで場所を突き止めて興奮は最高潮、長方形の 土地で商店街から一歩入った所、鍼灸院にもカフェにもピッタシな場所でした。 いきなりここに決定!? つづく
(2020.10.1更新)
信州・田舎暮らし便り その50
《田舎脱出計画!?の巻》 其の弐
千葉の我孫子、茨城の鹿嶋、埼玉の秩父、神奈川の小田原等々、いろいろ探しま したが、自分達の貯金で買えて農地も付いて来る!なんて都合の良い物件にはなかなか巡 り会いませんでした...。 そうこうしているうちに、教員養成学校時代の同級生が長野にある新設の専門学校で働い ていてこっちで教員をやらないかという誘いが来ました。社宅もあるということなのでと りあえず引っ越して物件を探そうと決意。しばらくの間、東京と長野の仕事を両立しなが ら毎週往復生活が続きました。。。 そしてついにくだんの東京の学校と、東京都労働委員会の調停を経て退職。市内のマンシ ョンに引っ越して長野に生活の拠点を移しました。その後紆余曲折あって、北部にある小 さな田舎町に役場の斡旋で小さな家を借り、いい感じに念願の田舎生活開始!と思った途 端。春になるとあちらこちらでリンゴの農薬散布が始まり慄然としました。これは危険だ と、そのあまりの酷さにもっともっと山奥にと本格的な田舎物件探しが加速していきます ...。別荘、ログハウス、古民家などを巡り、とうとう山の中にあるボロボロの一軒家に辿 り着いたのが今の家です。
それももう 14 年前。レンタカーで 2t トラックを借りて荷物を満載し、いきなり新居の雨 樋にトラックの箱が激突して壊す!という惨事に見舞われながらも、期待に胸を膨らませ、 田舎生活が始まりました。 ご近所さんに挨拶に行くとみんな良い方(に見えた)で、若い人もほとんどいなかったの で、周りからいろいろ期待されるのも少し嬉しかった記憶があります。 そこからのお話は今まで書いて来た通りで、人間、慣れて来ると周りの要求もグレードア ップして来るし、最初の頃は村役も簡単だと思っていたのが次第に 3 役 4 役と重なり、「若 いから」という理由だけで押し付けられ、いろいろ変えようとすると「今まで通りやれ」 と言われるし...ジモティーの論理には全く振り回されました。 子どもの学校も最初は少人数で和気藹々的な雰囲気かと思いましたが、ドンドン児童数が 減って、少人数で遠慮のない子どもの世界の人間関係はさらに窮屈に。先生や友だちとの 距離も近く、フィーリングが合えば良いけど合わないと地獄、みたいな状況になりPTA の負担も増々半端ない感じに激化。そして子どもは、田舎特有の「将来はフルサトのため に貢献するんだ!」という訳の分からないジモティー・プレッシャーにいい加減嫌気がさ し、結果「長野大キライ!」になりました...。 そのうち下の子どもの小学校のクラスが3人、学校全体の児童数 12 人、そのうち都会から の山村留学生が半分以上という異常な構成の学校になったことも、それを後押ししました。 こんな学校、田舎やないやん。 そろそろ田舎生活脱却時機到来か...!? つづく

(2020.8.2更新)
信州・田舎暮らし便り その49
《田舎脱出計画!?の巻》 其の弐
そもそも連れ合いと 2 人で最初に住んだのは、小田急線の多摩川近くの 6 畳と鰻の寝床のような 4 畳半+台所の木造アパートでした。
その右隣りの部屋の土方のオジサンは寝坊助らしく、毎日早朝に起こしに来る若者の声と、ドアを激しく叩く音がちょうど良い目覚ましでした。また左隣りの一人暮らしのオネエサンの部屋で洗濯物を干されると柔軟剤の臭いが激しく窓を閉める羽目になり、向かいのジイサマは機嫌が悪いとバアサマを怒鳴って蹴飛ばすので、警察に通報した方が良いか悩んだ覚えがあります。
周りは畑でのんびりとしていて良かったのですが、時に除草剤を撒く白い煙に包まれたことで危険を感じ、さらに子どもが生まれてまだ何ヶ月の時に、急に全館シロアリ駆除をする通知が来ました。シロアリ駆除の薬剤は毒性が高く、人体、また特に赤ちゃんへの影響を考えるとここに居ては危険だと判断、即座に引っ越し先を探すもなかなか見つからず、旅館に泊まってまで探した覚えがあります。残念ながら引っ越しは駆除の後になってしまい、薬剤の臭いに苦しめられながら引っ越し作業をしたことを覚えています。
次の家は、多摩川を渡って反対側の駅から 20 分歩いた所にある貸家でした。ここも古い木造で、6 畳 2 間で台所は広く小さな庭があり、裏は広い空き地だったのでとてもゆったりしていました。ここで連れ合いが持っていたテレビを調子が悪いので思いきって捨て、以来うちにはテレビがありません!
空き地の向こうには牛丼屋があり、風向きで牛丼の臭いがして来ると私はイヤでしたが、連れ合いはご飯のおかずだといってうっとりしていました。オーナー息子は同じ位の年齢の人で貸家群の一番奥に自宅があり、高級車が入っている車庫は私達が住んでいる貸家よりも立派でした…。
そこの貸家群には、熱心な創価学会信者や元社長、旧車マニア、外国人等住んでいる人たちも非常にバラエティーに富んでいていろいろ勉強になりました。特にお隣の元社長サンの家は夫婦お2人でとても工夫して住みやすくされていて、お庭には金魚を飼って綺麗なお花を植え、敷石も敷いたりして小さくとも素敵なお家でした。うちの子も可愛がって貰い、金魚にエサをやらせてもらったりバナナを頂いたり、奥さんが手作りで作った弁当袋はついこの間まで使わせて頂いていました。
その空き地も近くに流れる小さな川も自然が残されている領域だったので、桑の実を見つけて初めて食べたのもそこでしたし、家の裏には何故かブドウの蔓が生え、酸っぱいブドウを収穫した覚えがあります。
そのうち勤務先でのマタハラ事件が起こり、団交の後何とか勤務先へ戻ったものの常勤には戻れず、そうこうしているうちに田舎暮らし計画が進み始めました〜。 つづく

(2020.6.30更新)
信州・田舎暮らし便り その48
《田舎脱出計画!?の巻》 其の壱
いよいよ今号から、田舎脱出計画編!?...に移ります。 でもまずはその手始めに、今までの田舎暮らしの経緯を辿ってみたいと思います。
私の生まれ育った東京の端っこの多摩川沿いの小さな市は、とてものどかで近所には畑、 陸稲の田、梅林が沢山ある田舎な住宅地でした。畑の真ん中には柿の木があり、実のなる 頃には他家の塀の上によじ上って良く採ったものです。 どこの家もいろいろな庭木があり、ブドウやザクロ、グミなども味わえましたし、畑の人参を抜 きっこしていて怒られたこともありました...。 私は幼い頃から土いじりが好きでしたが、ウチの庭は正に猫の額程度の庭で、周りは家に 囲まれて日もあまり当たりません。そのうえ日本庭園に憧れた父が砂利を敷き竹を植え、ミ ニ石庭風になってしまった庭には、もう私が植物を育てるような環境は全くありませんでした 。 でも元々緑が好きで、高校時代の卒業文集には「お金をためて山を買いたい」と書きましたし (笑)、大学の時も裏山でブラブラ散歩しながら植物を眺めるのがとても良い時間でした。 連れ合いと出会って狭いアパートに暮らし始めた時、狭いベランダで初めてピーマンの苗を 育ててみました。そのピーマンはあまり大きくならず、やっと1つついた実をもう少しと思って 置いておいたら、何と赤いピーマンになりました。 調べてみると、つまり通常目にする緑のピーマンは未熟果で、だから白い種と苦味があり、 熟すると赤く甘くなるとわかり、感動でした。 そんな風に植物と付き合うと沢山の発見や感動があります。もちろん、食べ物への興味とい う点もとても大きかったです! そのうち、もっと田舎へ行きたい、山があって緑があって、田んぼや畑があって...と自給生活 への夢を密かに膨らませていました。
田舎暮らしへの直接のきっかけは、皮肉なことに勤務先のマタハラ事件でした(是非過去の ファイトを参照して下さい!)。思い返せば、それまで東京で馬車馬のように働いていた生活 を見直す良い契機になったことは確かです。 マタハラに遭った子どもも無事産まれ、子育ての環境としても田舎が良いだろうなー、また連 れ合いは障がいを持つ兄弟とグループホームの様な共同生活がしたい、そのうち鍼灸治療 院とカフェもやりたい...等と、田舎へ引っ越すということが少しずつ具体的になって行きまし た。
そこから「田舎暮らしの物件探し」という大海原への航海が始まったのでした〜。つづく
(2020.5更新)
信州・田舎暮らし便り その47
さて、今号は「田舎脱出計画」の予定でしたが、世の中は新型コロナウイルス感染に対する対応で大変な状況が続いています。そんな最中の、田舎の現状について綴ってみたいと思います。
最初は遠い国の出来事だったのが次第に国内でも影響が出始め、テレビがコロナ報道一色になっても、中山間地・限界集落のわが山村においてはまだ遠い国の出来事の様でした。しかしそれまでフツーだった学校に行事で出かけた途端、保健の先生が飛んで来て「マスクして下さい!」と差し出されビックリしました。完全に出遅れていた村民は、誰もマスクなど持ってません。まあ子ども達だけは結構学校でうるさく言われていたようで、ウチの子はちゃっかり先生にもらったマスクを常備していました…。
その後、3月の村を挙げての行事である「文化芸能祭」が急に中止に。それまで練習して来た児童たちの発表の場は、急遽授業参観時の学習発表会となり、なぜか歌を歌う時だけはマスクを外すというアクロバティックな対応がまだ許容されるだけの余裕がありました。
それが、緊急事態宣言が全国に出た途端、ほとんどの村の行事、会議、飲み会、総会、球技や大会などが中止になり…いつも“くだらない会議”に呼ばれていた連れ合いは大喜びでした。
といってもヨガ教室など貴重なお年寄りの運動の場もなくなったため、ある村では健康のため、1日3回もラジオ体操が村内放送で流されているそうです。
そのうち、ジモティー特有の閉鎖的な面が次第に現れ始めました…。
バブル時代に作った別荘地には休日や連休になると来る人が結構いますが、外国人も多く、「そこの人たちがよく来ているから、あそこのパン屋は行かない方が良い」
他府県ナンバーが付いている車が停まっていると「アレは誰のだ?」とすぐチェック
「東京なんか行っちゃダメだ!」「こっちにも来ちゃいかん!!」
ある島の方がこちらの別荘へ来ようと立ち寄った先に、島内の知らない人から「帰って来るな」という電話があったという話も聞きました。恐ろしい…!
そして、ついに県内で感染者が出た途端、かなりのスピードで詳しい個人情報が出回りました。どこどこのだれが東京のどこへ行って感染した、家族は何人でどこどこで働いていて…かなり詳細に噂が拡がってきます。そして、その方の家には心ない言葉を書いた紙が貼られたり、石が投げ込まれたとか。その仕打ちが酷かったため職を失った方もいたと聞きました…!!
とりあえず緊急事態宣言は解除されましたが、市や県の発表を見ますと依然自粛要請は続くとのこと。子どもの学校でも、生徒同士で笑ったり大きな声で会話しない、人と話すときは2m以上空ける、教室の窓は全開、マイゴミ袋持参、マスクの着用等々、宣言前よりもさらに厳しくなっていて、なんのための解除なんだか全く理解出来ません。
ウイルス感染対策は、まずは自分の身体の体力・免疫力を上げることに尽きます。消毒し過ぎず、新鮮な空気と水、生命力に溢れた食べ物、適度な運動と十分な睡眠を心がけましょう!