​(2020.10.1更新)

 

信州・田舎暮らし便り その50

《田舎脱出計画!?の巻》  其の弐

千葉の我孫子、茨城の鹿嶋、埼玉の秩父、神奈川の小田原等々、いろいろ探しま したが、自分達の貯金で買えて農地も付いて来る!なんて都合の良い物件にはなかなか巡 り会いませんでした...。 そうこうしているうちに、教員養成学校時代の同級生が長野にある新設の専門学校で働い ていてこっちで教員をやらないかという誘いが来ました。社宅もあるということなのでと りあえず引っ越して物件を探そうと決意。しばらくの間、東京と長野の仕事を両立しなが ら毎週往復生活が続きました。。。 そしてついにくだんの東京の学校と、東京都労働委員会の調停を経て退職。市内のマンシ ョンに引っ越して長野に生活の拠点を移しました。その後紆余曲折あって、北部にある小 さな田舎町に役場の斡旋で小さな家を借り、いい感じに念願の田舎生活開始!と思った途 端。春になるとあちらこちらでリンゴの農薬散布が始まり慄然としました。これは危険だ と、そのあまりの酷さにもっともっと山奥にと本格的な田舎物件探しが加速していきます ...。別荘、ログハウス、古民家などを巡り、とうとう山の中にあるボロボロの一軒家に辿 り着いたのが今の家です。 

それももう 14 年前。レンタカーで 2t トラックを借りて荷物を満載し、いきなり新居の雨 樋にトラックの箱が激突して壊す!という惨事に見舞われながらも、期待に胸を膨らませ、 田舎生活が始まりました。 ご近所さんに挨拶に行くとみんな良い方(に見えた)で、若い人もほとんどいなかったの で、周りからいろいろ期待されるのも少し嬉しかった記憶があります。 そこからのお話は今まで書いて来た通りで、人間、慣れて来ると周りの要求もグレードア ップして来るし、最初の頃は村役も簡単だと思っていたのが次第に 3 役 4 役と重なり、「若 いから」という理由だけで押し付けられ、いろいろ変えようとすると「今まで通りやれ」 と言われるし...ジモティーの論理には全く振り回されました。 子どもの学校も最初は少人数で和気藹々的な雰囲気かと思いましたが、ドンドン児童数が 減って、少人数で遠慮のない子どもの世界の人間関係はさらに窮屈に。先生や友だちとの 距離も近く、フィーリングが合えば良いけど合わないと地獄、みたいな状況になりPTA の負担も増々半端ない感じに激化。そして子どもは、田舎特有の「将来はフルサトのため に貢献するんだ!」という訳の分からないジモティー・プレッシャーにいい加減嫌気がさ し、結果「長野大キライ!」になりました...。 そのうち下の子どもの小学校のクラスが3人、学校全体の児童数 12 人、そのうち都会から の山村留学生が半分以上という異常な構成の学校になったことも、それを後押ししました。 こんな学校、田舎やないやん。 そろそろ田舎生活脱却時機到来か...!?    つづく 

​(2020.8.2更新)

 

信州・田舎暮らし便り その49

《田舎脱出計画!?の巻》  其の弐

そもそも連れ合いと 2 人で最初に住んだのは、小田急線の多摩川近くの 6 畳と鰻の寝床のような 4 畳半+台所の木造アパートでした。 

その右隣りの部屋の土方のオジサンは寝坊助らしく、毎日早朝に起こしに来る若者の声と、ドアを激しく叩く音がちょうど良い目覚ましでした。また左隣りの一人暮らしのオネエサンの部屋で洗濯物を干されると柔軟剤の臭いが激しく窓を閉める羽目になり、向かいのジイサマは機嫌が悪いとバアサマを怒鳴って蹴飛ばすので、警察に通報した方が良いか悩んだ覚えがあります。 

 周りは畑でのんびりとしていて良かったのですが、時に除草剤を撒く白い煙に包まれたことで危険を感じ、さらに子どもが生まれてまだ何ヶ月の時に、急に全館シロアリ駆除をする通知が来ました。シロアリ駆除の薬剤は毒性が高く、人体、また特に赤ちゃんへの影響を考えるとここに居ては危険だと判断、即座に引っ越し先を探すもなかなか見つからず、旅館に泊まってまで探した覚えがあります。残念ながら引っ越しは駆除の後になってしまい、薬剤の臭いに苦しめられながら引っ越し作業をしたことを覚えています。 

 次の家は、多摩川を渡って反対側の駅から 20 分歩いた所にある貸家でした。ここも古い木造で、6 畳 2 間で台所は広く小さな庭があり、裏は広い空き地だったのでとてもゆったりしていました。ここで連れ合いが持っていたテレビを調子が悪いので思いきって捨て、以来うちにはテレビがありません! 

 空き地の向こうには牛丼屋があり、風向きで牛丼の臭いがして来ると私はイヤでしたが、連れ合いはご飯のおかずだといってうっとりしていました。オーナー息子は同じ位の年齢の人で貸家群の一番奥に自宅があり、高級車が入っている車庫は私達が住んでいる貸家よりも立派でした…。 

 そこの貸家群には、熱心な創価学会信者や元社長、旧車マニア、外国人等住んでいる人たちも非常にバラエティーに富んでいていろいろ勉強になりました。特にお隣の元社長サンの家は夫婦お2人でとても工夫して住みやすくされていて、お庭には金魚を飼って綺麗なお花を植え、敷石も敷いたりして小さくとも素敵なお家でした。うちの子も可愛がって貰い、金魚にエサをやらせてもらったりバナナを頂いたり、奥さんが手作りで作った弁当袋はついこの間まで使わせて頂いていました。 

 その空き地も近くに流れる小さな川も自然が残されている領域だったので、桑の実を見つけて初めて食べたのもそこでしたし、家の裏には何故かブドウの蔓が生え、酸っぱいブドウを収穫した覚えがあります。 

 そのうち勤務先でのマタハラ事件が起こり、団交の後何とか勤務先へ戻ったものの常勤には戻れず、そうこうしているうちに田舎暮らし計画が進み始めました〜。   つづく 

​(2020.6.30更新)

 

信州・田舎暮らし便り その48

《田舎脱出計画!?の巻》 其の壱 

いよいよ今号から、田舎脱出計画編!?...に移ります。 でもまずはその手始めに、今までの田舎暮らしの経緯を辿ってみたいと思います。

私の生まれ育った東京の端っこの多摩川沿いの小さな市は、とてものどかで近所には畑、 陸稲の田、梅林が沢山ある田舎な住宅地でした。畑の真ん中には柿の木があり、実のなる 頃には他家の塀の上によじ上って良く採ったものです。 どこの家もいろいろな庭木があり、ブドウやザクロ、グミなども味わえましたし、畑の人参を抜 きっこしていて怒られたこともありました...。 私は幼い頃から土いじりが好きでしたが、ウチの庭は正に猫の額程度の庭で、周りは家に 囲まれて日もあまり当たりません。そのうえ日本庭園に憧れた父が砂利を敷き竹を植え、ミ ニ石庭風になってしまった庭には、もう私が植物を育てるような環境は全くありませんでした 。 でも元々緑が好きで、高校時代の卒業文集には「お金をためて山を買いたい」と書きましたし (笑)、大学の時も裏山でブラブラ散歩しながら植物を眺めるのがとても良い時間でした。 連れ合いと出会って狭いアパートに暮らし始めた時、狭いベランダで初めてピーマンの苗を 育ててみました。そのピーマンはあまり大きくならず、やっと1つついた実をもう少しと思って 置いておいたら、何と赤いピーマンになりました。 調べてみると、つまり通常目にする緑のピーマンは未熟果で、だから白い種と苦味があり、 熟すると赤く甘くなるとわかり、感動でした。 そんな風に植物と付き合うと沢山の発見や感動があります。もちろん、食べ物への興味とい う点もとても大きかったです! そのうち、もっと田舎へ行きたい、山があって緑があって、田んぼや畑があって...と自給生活 への夢を密かに膨らませていました。

田舎暮らしへの直接のきっかけは、皮肉なことに勤務先のマタハラ事件でした(是非過去の ファイトを参照して下さい!)。思い返せば、それまで東京で馬車馬のように働いていた生活 を見直す良い契機になったことは確かです。 マタハラに遭った子どもも無事産まれ、子育ての環境としても田舎が良いだろうなー、また連 れ合いは障がいを持つ兄弟とグループホームの様な共同生活がしたい、そのうち鍼灸治療 院とカフェもやりたい...等と、田舎へ引っ越すということが少しずつ具体的になって行きまし た。

そこから「田舎暮らしの物件探し」という大海原への航海が始まったのでした〜。つづく

​(2020.5更新)

信州・田舎暮らし便り その47

さて、今号は「田舎脱出計画」の予定でしたが、世の中は新型コロナウイルス感染に対する対応で大変な状況が続いています。そんな最中の、田舎の現状について綴ってみたいと思います。
最初は遠い国の出来事だったのが次第に国内でも影響が出始め、テレビがコロナ報道一色になっても、中山間地・限界集落のわが山村においてはまだ遠い国の出来事の様でした。しかしそれまでフツーだった学校に行事で出かけた途端、保健の先生が飛んで来て「マスクして下さい!」と差し出されビックリしました。完全に出遅れていた村民は、誰もマスクなど持ってません。まあ子ども達だけは結構学校でうるさく言われていたようで、ウチの子はちゃっかり先生にもらったマスクを常備していました…。
その後、3月の村を挙げての行事である「文化芸能祭」が急に中止に。それまで練習して来た児童たちの発表の場は、急遽授業参観時の学習発表会となり、なぜか歌を歌う時だけはマスクを外すというアクロバティックな対応がまだ許容されるだけの余裕がありました。
それが、緊急事態宣言が全国に出た途端、ほとんどの村の行事、会議、飲み会、総会、球技や大会などが中止になり…いつも“くだらない会議”に呼ばれていた連れ合いは大喜びでした。
といってもヨガ教室など貴重なお年寄りの運動の場もなくなったため、ある村では健康のため、1日3回もラジオ体操が村内放送で流されているそうです。
そのうち、ジモティー特有の閉鎖的な面が次第に現れ始めました…。
バブル時代に作った別荘地には休日や連休になると来る人が結構いますが、外国人も多く、「そこの人たちがよく来ているから、あそこのパン屋は行かない方が良い」
他府県ナンバーが付いている車が停まっていると「アレは誰のだ?」とすぐチェック
「東京なんか行っちゃダメだ!」「こっちにも来ちゃいかん!!」
ある島の方がこちらの別荘へ来ようと立ち寄った先に、島内の知らない人から「帰って来るな」という電話があったという話も聞きました。恐ろしい…!
そして、ついに県内で感染者が出た途端、かなりのスピードで詳しい個人情報が出回りました。どこどこのだれが東京のどこへ行って感染した、家族は何人でどこどこで働いていて…かなり詳細に噂が拡がってきます。そして、その方の家には心ない言葉を書いた紙が貼られたり、石が投げ込まれたとか。その仕打ちが酷かったため職を失った方もいたと聞きました…!!
とりあえず緊急事態宣言は解除されましたが、市や県の発表を見ますと依然自粛要請は続くとのこと。子どもの学校でも、生徒同士で笑ったり大きな声で会話しない、人と話すときは2m以上空ける、教室の窓は全開、マイゴミ袋持参、マスクの着用等々、宣言前よりもさらに厳しくなっていて、なんのための解除なんだか全く理解出来ません。
ウイルス感染対策は、まずは自分の身体の体力・免疫力を上げることに尽きます。消毒し過ぎず、新鮮な空気と水、生命力に溢れた食べ物、適度な運動と十分な睡眠を心がけましょう!

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